2016/11/8

本日の麺@二郎大久保店

 
 習志野陸事からほど近い、こちら二郎大久保店へ。
前日より、近くを通る予定だったために久々の大久保が堪能できると楽しみにしていた。
 
昼前11時45分ごろだったためか開店ラッシュは落ち着いており、並びは店内5人程。
様々に思い致しながら15分くらい背後霊になったところで着席となり程なく着丼。
 
モノはトップ画像のラーメン小ブタ コールはニンニクのみ。
ブタヤサイ麺スープともに大久保であり、期待なりにうまい。
しかし今回は量が少なめ、おやつ二郎であった。その為5分程度で完食ロット最速にてフィニッシュムーブへ。
 
久々おそらく数か月ぶりに大久保を堪能し、店主にご馳走様を告げると、満面の笑みの「どもっ」
 
後に出会う予定の各警察署の方々やご依頼人様への迷惑を考え、思いつく限りの消臭対策を施しつつ、清々しい気持ちと業務への思いを胸に次の目的地へと向かった。
 
 
<回顧>
 思えば、私と二郎の出会いは学生時代の20歳頃、およそ17年程遡る。
空手道場の仲間に誘われ、三田にある本店に行ったのが最初の出会いであった。
 
 初二郎の感想は、うまい、というものではなかった。
並びはきついし(2時間ほど待ったような)、食後感もニンニクが口内に残るだけで、心地よいものではなかったからである。二度目はないな、と仲間に告げ店を後にした。
 
 しかし後日、バイトのバイク便の途中で本店前を通った折、たまたま並びが少ないのを目撃し、急遽最後尾へ回った。もう一度、確認したかったとの思いがあったからである。
 
結果として、何故これに並ぶのか?との感想は変わらなかった。
 
 それから数年後、社会人となっていた私は、日大生産工学部で資格試験(個人情報保護士かな)の受験に立ち寄った際、二郎の看板を見つけることとなる。それが開店したばかりの大久保店だった。
 
 それまで二郎は口にしていなかったのに、何故かあの本店の味がフラッシュバックする。
食べたい、という強い欲求。それは渇望感とも言える感情であった。
しかしながら、当日は日曜日で店は営業していない。
二郎への思いを一日抱きながら翌日、黄色い看板から猛列を成す大久保店へ、冷静を装い逸る気持ちを抑え込みながら突撃した。
 
ここから、私の二郎が始まるのである。
 
 本店、大久保、松戸、一之江、小岩、千住、亀戸、野猿、目黒、神保町、新代田、関内、守谷、大宮、荻窪、ひばりが丘・・・全店制覇には程遠いが、ぱっと思いつくだけでもこれぐらい。
どれもが二郎なのに各々個性が光っていた。
 
 
 <思致>
 本店は言わずもがな、大久保店も開店から14年程の歴史がある。(大宮は大変残念だが)
これは飲食店、しかもラーメンというジャンルでは驚異的な長さとも言えるだろう。
 
 私のご依頼人様の中で、何度か飲食店開業のご依頼を受注したこともあったが、中には早々に勇気ある撤退をされた方もいる。
 
 ラーメン屋を開業の折、短い期間ではあったが融資相談や開店手続き等をお手伝いさせて頂いた。
その店主は料理の腕は優れていたようで、試作から開店当初は、魚介系から家系風、パスタ風等少ない調理器具を駆使しつつ、様々な味やジャンルに挑戦し、そのどれもがメインになる程の素晴らしい味であった。
 
 さぞ繁盛するだろうと思いきや、開店はそこそこであったが後が続かない。
そこでフードコーディネーターという方のアドバイスをもらったようで、店内の改装を始め期間限定企画やメニューのさらなる多様化を図った。当時の私も、アドバイスを求められたら同じようなことを伝えたかもしれない。
 
それで成功することもあったはず。しかし、その店ではまだ早かったのだろう。
開店から一年足らずで、資金が早々にショートしたのでこれ以上を傷口広げまいと、撤退する旨の連絡が私に入った。
 
 思うに、そのラーメン屋としての系統や個性が確立される前に、様々な味を生み出してしまった為に地元のお客さんから此処がどういったラーメン屋なのか認知されずラーメン屋選びの選択肢から外れていってしまったのではないか。
 
誰もがネットに気軽にアクセスできる環境下、数多のラーメン屋が市中に立ち並ぶ現在では、食べたい人はラーメン屋選びの際に大勝軒系、家系、二郎系などの多様なジャンルを想起し、そこから口コミなどを経て店を選択していくことが今や一般的なのだ。
 
つまり、新店舗の目指す一つの到達点として、多様化の前にその店のラーメン屋としての系統や個性を確立し、選択する側の評判を得、認知され固定客を増やす必要があったのだと考える。
 
 二郎は確立されたジャンルとなった。
本店が創業後長きに亘り営業を続けジャンルの下地を作ったことも大きい。
しかし各二郎店店主はそれに胡坐をかかず、二郎を提供しながらもたゆまぬ努力を持ってそれを維持し進化させている。
そして、個性が光る各店の、あの店に行けばアレが堪能できる、その思いを胸に、選ぶ側は今日も行列を成すのである。
 
 特色がないという理由だけではないであろうが、確立できなかったということが早期撤退を迫られた原因の一つだったのだろう。 そしてそれは競争厳しい飲食業界において、様々な理由で早期撤退を迫られるお店は、ラーメン屋に限った話ではないのである。
 
 撤退の連絡に、お役に立てず申し訳ないと伝えると、また復帰するときはよろしくねとご返答頂く。悔しさとそんな状況下での有難い言葉に、涙が出る思いだった。
 
 
 
では私などの行政書士はどうか。
 
 業務として扱える種類は1000種類を超えると言われる行政書士。
数多の事務所があり、様々な業務を扱う事務所が点在しており、個性豊かでもある。
 
 選んで頂く側として、受注した業務を完璧に提供できているだろうか。
業務種類が沢山あるからと様々に手を付けて、既存のご依頼人様へのフィードバックを忘れてやいないか。
そもそもまずは自分の得意なジャンルを確立できてるか、その業務の遂行に自信を持っているか。
そうでなければ、選んで頂けるわけがない。
 
 
 私は日々是精進の姿勢を忘れずに、二郎のように、コレはあいつに任せれば大丈夫、と信頼され長く選んで頂けるような行政書士でありたい。
このように久々の大久保店での背後霊の間、思い致していたのだった。